2022月3月28日(月)
移住者 玉沢 堅司さんインタビュー
「人として “明るく楽しく穏やか”な気持ちで生活し仕事が出来る場所。」

株式会社つむぎについて教えてください。
株式会社つむぎは、2021年7月27日に創業しました。
事業内容は、大きく2つ。1つ目は防災・見守りサービスの提供、2つ目は、街のIT屋さん事業になります。
東日本大震災から11年経った今、この地の防災サービスはすでに充実されているのかと思っていましたが、役所や住民の方からお話を伺うと、
まだまだ現場レベルでは課題だらけだということが分かりました。
我々システム屋としてお手伝いできることがあるのではないかと思ったのが始まりで、
現在は行政や住民の方の協力を仰ぎながら進めているところです。
街のIT屋さん事業に関しては、街の電気屋さんと同じようなイメージで、
ITの分野で住民の頼れる存在になりたいと思っています。
ホームページ作成などの小さいところから始めて、
困りごとを引き出しながらシステムでの解決策を提案していきたいと思っています。
先ほど、防災に関して「課題があるとわかった」とおっしゃっていましたが、どのような課題か具体的に教えてください。
例えば、災害があったときに、「身内やお隣さんがどういう状況になっているかな?」、 「今、避難所に逃げても良い?」、「どこに避難すれば良い?」、「避難所のコロナ対策は?」といった情報を 住民が即座に知るシステムはまだまだ整えられていません。 避難所での受付も手書きで行っていて苦労されていると伺いました。 このまち.comは、このような課題を解決できるようなサービスです。
このまち.comのサービスの舞台を南相馬市小高区にした理由はなんですか?
2年前に南相馬市の小高に来る機会がありました。 すでに南相馬市で事業をされている地域おこし協力隊の方から「遊びにおいでよ!」 と誘われたことが最初のきっかけです。 南相馬市は、一度は人口がゼロになってしまった街ですが、現在は若い人達が芽吹き始めていて、 “ゼロからイチ”を作りだそうというエネルギーがあふれている街です。 そこに魅力を感じたことが一つと、2つ目は、行政の方とお話をする機会があり、 防災関連のサービスに関して課題が多いと知り、 システム屋としてできる事があると可能性を感じたからです。
玉沢さんの視点での”このまち.com”はどのようなサービスですか?
このまち.comは、防災・見守りを軸としたサービスですが、
私としては“新しいつながりを作っていきたい”という想いがあります。
行政の方とのお話の中で「原発で人とのつながりが絶たれた」という言葉がとても印象に残っています。
震災後に原発事故が起きて、2011年3月~2016年5月あたりまで、
原発20キロ圏内に住んでいる全ての住民は避難を余儀なくされました。
“人は5年あくと、関係が絶たれる”と言われています。特に地方は、人との距離感が近く、
より人付き合いを大切にする傾向がありますが、それを一瞬にして絶たれるということは相当なことです。
住民の方が、どういう想いで戻ってきたのかという話を伺う機会も多いですが、
戻ってきた人の覚悟や想いは言葉では言い表せないものがあります。
つながりを元に戻すことは難しいことだと感じていますが、今の住民同士のつながりはもちろん、
新しく小高区に来る人とのつながり、そういった新旧のつながりを作っていくサービスにしたいと思っています。
このまち.comの事業を準備していく中で、南相馬小高区への移住を決断した理由は何ですか?
移住に関しては、迷うことはありませんでした。
今は特にコロナの状況でリモートは当たり前ですが、
住民の方とのコミュニケーションは対面が良いだろうなと感じていました。
肌で感じる相手の感情やその場の緊張感、空気感などは対面だからこそ感じられる情報です。
現地に行き、暮らしてみないと感じられない、感じられないと自分の言葉にのせて
話すことはできないと思い、移住を決断しました。
環境の変化に抵抗がない自分の性格もあって、迷うことは一切ありませんでした。
小高区で活動している中で大変だなと感じたことはありますか?
今は、あまり大変と感じていないです。 住民の方への普及は、少し時間がかかるかなという部分はありますが、 行政の方も、街の事をよく考えていらっしゃるので、 私たちのサービスに関しても積極的に相談に乗ってくれています。 そのおかげもあって、大変さは感じていません。
このまち.comの今後の展開、それ以外に今後やっていきたいサービスや事業を教えてください。
このまち.comの今後の展開としては、実証実験を3月に控えている状況です。
それ以降も、南相馬市を皮切りにいろいろなところにサービスを広めていきたいと思っているので、
機会があれば近くの町や県の役所の方とお会いして、いつでもサービスを広げられるようなきっかけづくりを行っています。
また、サービス内容の充実を図っていくために、さまざまなコンテンツを検討しています。
住民や役所が一緒に関われるようなサービスを作っていきたいと思っています。
街のIT屋さんの事業としては、ホームページの制作等でお手伝いできたらいいなと思っている事と、教育現場で活用できるサービスも考えています。
行政関係とのつながりも出来ているので、行政の方たちが課題としているシステム関係のサービスを今後も提案していく予定です。
また、移住を検討している方向けの移住関連サービスを行政の方と共同で全国展開できたらいいなと考えています。
玉沢さんにとって、このまち(小高区)はどういう存在ですか? 想いも教えてください。
このまち(小高区)は、“地方という概念を覆したい街”です。
地方創生は、地方だけでなく都市との問題であるからこそ、解決しづらくなっています。
ITは、地方と都市の両方をつなげる唯一のお仕事だと思っていて、
私はITの力で、小高区を地方という概念がない街にしたいと思っています。
小高ワーカーズベースさんが昨年からスタートさせた学生を起業させるという大きなプロジェクトもありますが、
小高区は起業したいと思っている若い人たちが集まってきている場所でもあります。
1度は人口がゼロになった街だからこそ、ゼロからイチを生み出すような新しいチャレンジを受け入れて
バックアップしてくれる環境が整っているように感じます。
若い人たちが増えれば、おのずと仕事の流れは変わってきます。
流れが変われば、“小高区が地方”という認識が消えていくように感じています。
また、震災の経験があったからこそ、人間性が増したのではないかな?と感じてしまうほど、
小高区には愛情あふれる素敵な方たちがとても多いです。
そういう人たちから刺激を受けながら、このまち(小高区)を変えていけたらなと思っています。